知り合いにちょっと変わった双子がいたんだ。顔は同じなんだけど雰囲気は全然違うの。
 兄の方は髪をホワイトアッシュに染めてて、ミディアムレイアーベースの毛先に緩い外はねのパーマをかけてる。服装はカジュアル系で清潔感がある。愛想が良くて表情が柔らかい。口角なんか常に上がってる。
 対して弟は黒髪をクラシックショートにしてる。額が出ているせいか表情はいつもキリっとしてる。服装は綺麗系でかっちりとしていて、生真面目というか硬いイメージが個人的にはあった。
 弟とは大学の学部が一緒で、席が近くになることが多かったからよく話してた。兄の方とは学部が違うし取ってる授業も被らないから、顔見知り程度の認識しかない。
 1回だけ弟と一緒にいる時に話したことがあったけど、仲良くなれるとは思えなかった。愛想の良い表情はしてるんだけど、目が笑ってないんだよね。変な質問ばっかりしてくるし。健康?とか、家族は?とか、彼女いるの?とか、虫歯ある?とか、そんな感じの質問。
 その時は訊き方が上手かったからあんまり気にならなかったんだけど、よくよく思い返せば変だ。明らかに初対面の奴に訊くことじゃないだろ。弟にお前の兄ちゃん変だなとか言えないし、避けることはできたから気にしないことにした。
 それからは兄のことも気にしないで普通に過ごしてたんだけど、2年になった頃から弟の様子がおかしくなった。
 たまにボーッとしたまま授業終えたり、そうかと思えば突然またたび食った猫みたいにはしゃぎ始めたりする。大丈夫? って訊いても大丈夫って言うし、追求しづらい雰囲気だしで、声を掛けづらくなったから、段々と疎遠になっちゃったんだ。その頃から学校にすらこなくなった。
 でも、兄の方は元気そうってか何か機嫌も良さそうだったから、そっちに訊いてみたんだ。そしたら、本人にメールでもして訊けって言うわけ。それ以上は何も教えてくれない。どうせ無視されそうだから、直接訊こうと思って家に行ってみたんだ。
 弟たちの家はボロいアパートで鍵が掛からない。誰でも自由に入れるから、仲が良い頃はたまに寄ることがあった。何か手土産でも持ってくればよかったなあとか思いながらドアの前に立つ。
 弟の笑い声が聞こえてきた。喉だけ使う引き攣った笑い方。この調子じゃ大学に来られないわけだと納得した。
 ドアをノックしても反応はない。弟はずっと笑ってる。開けるぞーと一言断って(聞こえたかは分からないけど)ドアを少しだけ開けて中を覗いた。
 畳の上で弟が真っ赤なデカい塊に顔を埋めてる。多分猫だった。猫まっしぐらって感じで猫を齧ってた。ぐちゃって音に混じって、パリパリとかカリカリとか聞こえて気持ち悪くなった。
 アレは確実に食ってた。いつもはきちんとセットされてる髪は額を覆っていた。隠れていない目元は自分が食ってる猫を穴が空くんじゃないかってレベルで見てた。猫が猫を食っているみたいだった。
 いつも見てた弟とあまりにも違いがあり過ぎたから驚いて、慌てて帰った。家に帰ってすぐ布団の中に入った。
 有り得ない物を見て興奮しているし、まだ夕方だったから眠れない。目を瞑ると弟の顔が瞼に浮かんできそうだったから、ずっと部屋の床を見て木目を数えていた。そしたらメールがきた。
 嫌だったんだけど見ないわけにもいかないからメールを開いた。句読点もなくただ一言「見たでしょ」って書いてある。その瞬間、猫食ってた時の弟の顔が浮かんで携帯を落した。
 慌てて携帯を拾って、震える手で「ごめん」って返したら、「明日学校で」って返ってきて泣きそうになった。布団にくるまったまま夜を明かした。脂汗で服がびしょびしょだった。家から出るのすら嫌だったんだけど、家にでも来られたらもっと怖いから学校に行った。
 1限から弟と同じ授業だったんだけど、彼は寝坊でもしたのか遅れてきた。30分遅れで教室に入ると俺の隣に座った。一時期はぐしゃぐしゃの髪にティーシャツとジーパンというラフな格好だったが、今は昔のようなお洒落な格好に戻っていた。クラシックショートの黒髪は額を晒した形で整っている。限りなく黒に近い灰色のテーパード型のズボンを穿き、広く丸い襟ぐりの白いシャツに根岸色の薄いカーデガンを羽織っている。
 久しぶりに学校に来た弟は最初にあった時と変わらなかった。普通に挨拶して、普通に講義受けて、普通に飯食って、とにかく普通だった。逆に怖かったね。昼休みに昨日の話を切り出してみたら、弟は言いづらそうな様子で、「授業が全部終わってから」と答えて自分が次受ける授業の教室に行ってしまった。
 すぐ話してくれるんだとばかり思ったから、焦れて焦れて、勉強どころじゃなかった。時計ばかり気になってノートも取れなかった。今か今かと待ち、最後の講義が終わった瞬間に走り出して弟のいる教室へ向かった。
 弟はラウンジにいた。入口に近い窓際の席に腰掛けて、定まらない視線を外に向けていた。声を掛けると弟は直ぐに顔を上げる。視線が合う。意識はハッキリしているようだった。
「何見てたの」
「外だけど」
 彼が外に向けた視線を辿るが、特に目を引くものはない。外は既に薄暗くなっており、人もまばらである。視線を戻す。
「そりゃ分るよ。何か面白いもんあったの」
 弟はしばらく黙って、人と言う。可愛い子でもいたのかと訊けば、少し間を置いて知り合いだと答えた。誰がいたのか気になり窓から大学の門を見るが、既に外には誰もいない。
「……」
「いるだろ? もしかしていないか? いないかもなあ」
 言葉の最後の方は俺に確認するというかは自分で納得するような口調になっていた。
「そんなことより、知りたいんだろ」
 肩を引かれて振り向くと、弟の顔は間近にあった。落ち窪んだ目元は隈が陰を重ねており、頬はこけて骨が出っ張っていた。随分とやつれている。戻ったといえど、彼の変化は根深いものだと感じた。
 何が彼をこうしたのか、訊かなくてはならない。乾いた唇を舐める。口元の引き攣りが緩んだ。
「知りたい」
 やっとの思いで答えると、彼は来て欲しいと答えた。どこにと更に訊ねたが、返事は返ってこない。唐突に腕を引かれる。
「全部知っていて欲しいんだ」
 ただそれだけ、それだけを何度も何度も呟き、俺の腕を引いた。
 俺は一体、どこへ連れて行かれるのだろうか。人目のない所は嫌だ。しかし、気になる。不味い事に足を突っ込んでいることは分かっていたが、それがどう不味いのか、いまいち見当がつかない。
「ここ」
 着いた先は近所の廃工場だった。ここは変な奴らがいるから子供や学生はおろか不良も近寄らない。まさか、弟がその変な奴らの一員だったなんて。
 赤・緑・紫・黄色などが幾重にも重ねられて濁りきった色彩の落書きが目に付く。それは入口であろうシャッターの一面を占めていた。
 弟は日課のごとくスムーズにシャッターを上げた。中は薄暗い。弟の後を追うようにして廃工場に足を踏み入れた。コンクリートの床には随分と厚く埃が積もっている。
 工場内には弟と同じような顔付きの少女たちがいた。おそらく中学校から高校までの年齢だろうか。彼女らは捲れるスカートや肌蹴るワイシャツを気にすることなく床に寝転がってる。大体が高校生で、スカートの下にジャージや短パンの類を穿く者はいない。下着すら身に付けていない少女もいた。制服以外にもスウェットや私服を着ている少女がいる。そもそも服を着ていない者もいた。
 彼女たちは俺が入ってきても全くの無関心である。服に着いた埃はもちろん、乱れた服装を整える者もいなかった。下着を穿いていない者や全裸の者はだらしなく開いた股を隠すどころか閉じようともしない。
 動揺を隠し切れない俺の状態に気が付いたのか、弟はぽつりと謝った。それから、女の子たちを違う部屋に移動させた。女の子たちは木材が積まれた部屋に入って行く。錆びたドアの閉まる音が耳に残った。
「さて」
 分かったでしょ。弟の声は震えていた。意志の強そうな眉は寄せられ、岩をも貫いてしまえる視線を湛えた目は伏せられている。
「何となく」
 弟は何も言わない。慎重に言葉を選んでいるようだった。時折唇が震えている。
 彼が話し出すまで待とう。持て余した間を彼の蠢く口元を眺めて潰していると、錆びついたドアの音が工場内に響いた。音の方を見遣ると、機械が詰め込まれた部屋から兄が出てきた。ゆっくりと歩を進め、俯いた弟の肩を抱く。弟は一瞬肩を震わせたが、兄を振り払おうとはしなかった。
「いいよ。俺が全部言ってあげる」
 俺の方がここのことはちゃんと分かってるし。と、そう前置いて兄は話し始めた。
「家出少女とかいるでしょ? 家に寄りつかなくても親が気にしないタイプのやつ」
 そこの資材置き場に入ってった子たちね。兄は先ほどの女の子たちが入って行った部屋を顎で指した。
「そういう女の子たちを、おっさんよりもタメで集まろうよって言って集めるわけ。そんで、廃工場に集まって楽しく遊んで暮らすんだ」
 ちゃんと部屋割りも決めてるんだよ。さっき見た女の子たちは新しい子たちには見せられないからねえ。と、兄はどこか楽しそうに言う。
 もう、察しがついてしまった。こんな話、俺なんかが聞いて良いのか。しかし兄の口は淀みなく動く。ここからが本番だと言うように、声の調子が上がっていく。
「その時に、薬を飲み物に混ぜたり炙ったりして女の子たちに摂取させるの」
 他愛ないいたずらをしている。そんな調子の軽さで兄は言った。
「そうするとね、もう、ここに居着くわけ。薬が欲しくてまともな思考なんてどっかにやっちゃってるから、ちょっとお願いしたら何でもしてくれるの」
 親父狩りとかヲタク狩りとか援交とかやらせて、お金を稼いでたんだよ。頭いいでしょ。彼は捲し立てるようにそう言った。いつもとは饒舌の種類が違う。
 しかし、薬でおかしくなった奴を統率できるのだろうか。先ほど見た女の子を見る限り、どこかで綻びが出てくるのではないか。
「でもね、やっぱり、薬に脳味噌食われてお釈迦になっちゃうでしょ」
 俺の疑問を察したのか、彼は人差し指を立てて振った。
「理性なんかなくなっちゃうからね。お客さんのこと齧っちゃう子とか出て来ちゃうし」
 兄は愉快そうに笑っている。先ほどの女子高生が男に絡みついてはその体を齧り始める光景を思い浮かべる。ゾッとした。バイオハザードかよと、そう毒づきたくなった。
「そこで、こいつの出番」
 兄は、思わず顔を顰めた俺を鼻で笑う。そうして、抱いていた弟を更に引き寄せた。
「厄介な廃棄物を掃除してもらってるんだ。一番役に立つんだよ。そういうお薬を飲んでるから、強いんだよ。凶暴性は猫とか何かを食べて解消するんだよ、賢いでしょ。凄いでしょ。凄いに決まってる。だって、俺の弟だもん」
 初めて見た兄の笑顔からは嫌味な印象を受けなかった。まさに至福といった様子で、顔面のパーツが緩み切っている。視線は弟に注がれて、こちらの存在は丸っきり無視だ。 兄に抱きつかれた弟は特に反応を示していない。俯いたままである。
「俺の為に、何でもしてくれるの。何でも」
 この兄弟はちょっとおかしいな。そう思いながら、弟に絡みつく兄と微動だにしない弟を暫く眺めていると、兄がこちらを見て眉を顰めた。
「お前、いつまでいるんだよ」
 弟が顔を上げた。その動きに気付いた兄が、一瞬だけこちらを睨む。毒虫に背を上られる感触が走る。兄は再び弟に向き直った。
「お願い、こいつも掃除して」
 とんでもないとは思ったが、そもそもここに来た時点で嫌な予感はしていた。兄の方に殺されるのだとすれば気に喰わないが、弟に殺されるのならいいか。そう思って逃げるのを止めた。

「おい、何で」
 しかし、弟は兄の顔に食らい付き、鼻を噛み千切った。猫まっしぐらじゃない。人まっしぐらであった。鼻を失くした兄は濁った叫び声を上げて泣く。泣くというよりも吠えているような響きであった。
 弟は鼻を咀嚼している。軟骨までもゴリゴリと噛み砕き、飲み込んでいった。口の中が空になると上唇に齧り付く。くちゃくちゃと血を啜りながら肉を噛む音が倉庫の空気を震わせた。微かな血の臭いが漂って来る。
 ギギッと音がした。音のする方向を見ると、資材置き場のドアが開いている。そこから少女たちが出てきて兄弟を囲む。彼女たちの目は彼らに釘付けとなり、口からは涎が垂れいた。形容するには待てをされた犬がしっくりとくる。
 弟は少女たちにも俺にも目をくれず、ただひたすら兄の顔を食べていく。骨の部分に突き当たると上手く肉を削いで、余すことなく食べようとしてした。口元は血で真っ赤に汚れているが、食べ方は無駄がなくて綺麗だ。
 瞼を引き千切り、眼窩から目を啜る。硬い肉を食う時のように長い間咀嚼してから飲み込んだ。喉が生々しく蠢く。兄はもう叫びこそしなかったが、断続的に呻き、時折痙攣していた。まだ生きている。
 顔を一頻り食べた辺りで、不意に弟が顔を上げた。目が合う。落ち窪んだ眼窩の中で目だけが静謐な光を湛えていた。
 彼は立ち上がると、血も拭わずにこちらに寄ってきた。噎せ返るほど強い血の臭いが鼻腔に満ちる。口元から滑り落ちた肉や血が、彼の真っ白なシャツをどす黒く汚していた。
 放置された兄には女の子たちが群がった。彼女らは破くように兄の服を脱がせ、露出した所から食い付いていく。何人もの女の子が重なるようにして兄を食べる様は壮観だった。
「本当は、知られずに消えちゃいたいと思ったんだ」
 その声で視線を弟に戻す。こちらを目には理性が戻っていて安心した。
「でも、ちゃんと言っておきたくて」
 心細いのか、彼は固く拳を握っている。
「俺のこと、全部知っててもらいたくて」
 誤解されたくないんだ。それだけ言って、彼は泣いた。泣きながら今までのことを話してくれた。
 まず、彼らの家は貧乏で常に金に困っていたこと。失う物は互い以外に何もなかったこと。同じ年なのに必死で自分の世話をしてくれた兄の為に何でもしたかったこと。そんな兄が嬉しそうに儲かると言って始めたことが今の薬に爛れた生活であること。薬のせいでもう長い事まともな景色が見られてないこと。俺に見られた時、初めて恥ずかしいと、死にたいと、久しぶりに人間らしいことを思ったこと。彼は訥々と話してくれた。
 何も言えず、ただ弟のことを見ていた。暫くの間は互いに何も言わず見つめ合っていたが、弟が掠れた声で送ると呟いた。
 外は既に夜になっていた。弟や少女たちは長い時間を掛けて兄を食っていたのか。
 家に着くまで何も話せなかった。家についてやっと、何か言わないといけないと必死で考えた。弟は友人の一人でしかなかったはずだ。それがどうして、こんなに気に掛かるのか。
「……学校、来るのか?」
 考えた末に当たり障りのない言葉が零れた。それが一番大事なことだった。過程は要らなかった。彼は来るではなく行きたいと答えた。それで、分かってしまった。
「来てくれよ」
 なぜか声が震える。無理だと分かっているからか。待ってると言ってやりたいが、口が渇いて言葉が出ない。
「……行くよ」

 次の日も、そのまた次の日も、弟は来なかった。
 数週間後、件の廃工場で弟や少女たちが死体で発見された。死因は不明とされていたが、共食いか、衰弱死か、餓死か、腹を壊して死んだ辺りだと思う。
 それから案の定、兄は骨の状態で発見された。動物に食われたとニュースでは言っていたがそれは嘘だ。彼らが余すことなく食べたのだろう。
 彼がどんな気持ちで人を食っていたのか知りたくて、前腕の柔らかい部分を噛み千切ってみた。
 痛いばかりで味も分からず、俺は彼が死んでから初めて泣いた。

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